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2024年10月6日(日)三位一体節主日メッセージ 「神の国を受けいれる」 田淵 結 牧師聖書 マルコによる福音書 10章2~16節

  • hakobune9
  • 2024年10月6日
  • 読了時間: 2分

更新日:2024年10月12日

●マルコ福音書には「神の国」という言葉が繰り返し用いられます。マタイ福音書は同じ文脈では「天(の)国」となっています。ただしそ「国」という言葉の意味は「主権」「支配権」という意味で、私たちが死んで天国へ行くというようなものでは全くないのです。むしろ今この世界の中で、人間がそれを支配していると思っているなかで、いや神様が支配をしておられることに気づくか、知っているか、信じるかということなのです。そして神様の支配は、人間の支配とは全く違いますし、それは人間の常識などでは通用しないということです。

●その具体的な問題として、離婚ということが話題となります。そしてモーセはそれを認めたことに対し、イエスは「離してはならない」と語るのです。ただしそこで問題はさらに再婚問題となりイエスはそれに厳しい言い方をします。ただしそこで決定的な基準は、神が合わせられた結婚なのか、人が合わせたものなのか、ということですが、私たちは結局人が合わせた結婚しかできない現実のなかに生きざるを得ないのです。だから人間の結婚生活は所詮不完全な形なのだ、ということを意味しているわけではありません。

●神の国を信じる、神の支配を受けいれる、ということは、それによって自らの不完全さ、未熟さ、キリスト教的に言うと罪深さを見つめながら、その弱さのなかでなお、神様がそれをゆるし、守り、支えてくださることを信じることなのです。私たちの生活がどのような形となっていこうとも、なお神様は私たちの理想的なモデルとなるべき神の国でのあるべき姿を示し、私たちをそこに導き続けてくださるのです。

●祈りましょう、神様、私たちの毎日の生活、その現実を見つめながら、なお私たちはそこにあなたの導きを信じます。私たちがどうあろうとも、そのときあなたの示されるあるべき姿を常に求め続ける一人としてください。御名によって祈ります、アーメン。


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