2024年9月22日(日)三位一体節主日 メッセージ 「誰がいちばん偉いか」 田淵 結 牧師マルコによる福音書9章30~37節
- hakobune9
- 2024年9月22日
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更新日:2024年10月12日
●私は知事だぞ! と自らの存在を高言された方が身近におられるようですが、どうも私たちの周囲には、ある役職に就くということについて勘違い、思い違いをしておられる方が多いようです。もう死語に使い言葉に「公僕」というものがあります。官僚は公への僕だということ。だから私は知事だ!とおっしゃるとき、私はあなたのためにどんなサービスをしたらいいでしょうか、ということをおっしゃって初めて本物の知事さんではいのでしょうか。少なくとも聖書やキリスト教ではそうなのです。
●誰が一番偉いか、という議論をイエスの隣で弟子たちが始めてしまいました。それを耳にされたイエスが弟子たちに何を話しているのかと尋ねても、みんなが黙っていたのは、あ、マズイとみんなが思ったからでしょうか。イエスに従うということのなかで「誰が一番偉い」という問いかけは、どういう意味なのでしょう。偉くなるということは、誰が神様に一番褒められるか、最初に天国に行けるか、幸せになれるか、ということなのでしょうか。そうなったとき、その人は一番偉くなって、どうしたいのでしょう。本当に神様に褒められる、というのは何をすればいいのでしょうか。
●それはもっとも自分を小さくして、低くして隣人に仕え、隣人を愛することです。徹底して、自分がされる立場ではなく、自分がする立場に立てるかどうかでしょう。そしてその行動を最後まで貫かれたのがイエスご自身でした。私たちのために十字架の死を選ばれたのです。そのイエスのまえで、私が一番偉い!と自分を誇れる人が本当にいるのでしょうか。
●祈りましょう、神様、私たちがあなたの目に偉くなることの難しさを思います。どうぞ私たちをゆるし、導き、用いてくださいますように。弱い私たちをお許しください。主の御名によって祈ります、アーメン。