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2024年9月8日(日)三位一体節主日 メッセージ 「エッファタ:開け」 田淵 結 牧師聖書 マルコによる福音書 7章24~37節

  • hakobune9
  • 2024年9月8日
  • 読了時間: 2分

更新日:2024年10月12日

●今日のマルコによる福音書の記事は、よく注意して読まなければなりません。ひとりのギリシャ人の女性が娘の病気を癒してほしいとイエスに懇願します。ところがイエスはつれなく、それを拒否するような態度を見せます。しかしその女性が熱心に願いつづけるのでそれを聴き入れ、娘は癒されたのです。そのときにイエスはこの女性を「子犬」と例えますが、それは決して愛くるしい動物ではなく、ユダヤ人には嫌われる存在でした。

●後半はイエスのホームグランドであるガリラヤ湖で耳が不自由で会話も難しい人をこちらは無条件で、ただ「エッファタ」と語られて癒す物語です。イエスはギリシャ人を差別したのでしょうか。しかしこの耳の不自由な人には誰にもこのことを話すなと告げるのですが、人々は黙ってはいませんでした。

●ユダヤ人たちはこの人の障害を治すことを願い、それがすぐに聞き入れられ、イエスの奇跡を言い広めました。女性はイエスに受けいれられなくても熱心に願い続けます。どちらがイエスへの強い信仰を持っていただのでしょうか。熱心に祈っていたのでしょうか。神様への願いや祈り、それは結果が与えられるための手段でも道具でもなく、私たちの信仰が試される機会です。本当に信じて祈るとき、その結果が与えられること以上に私たちが本当に神様を信じているのかが、実は強く問われているのです。

●祈りましょう、神様、私たちがあなたに祈るとき、あなたへの信仰を確かめる祈りを捧げさせてください。自分たちの問題の解決を願う自分たちのことしか思えない弱さをおゆるし下さい。イエス・キリストの御名によって祈ります、アーメン。

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